昭和 21年 |
田中廉造が個人営業にて江東区佐賀町に朝川印刷所を創立。 |
30年 |
中央区新川2丁目に事務所並びに工場を移転し、同時に株式会社朝川印刷社を設立。 |
36年 |
資本金100万円とする。代表取締役に田中廉造就任。 |
38年 |
資本金を200万円に増資する。 |
39年 |
社団法人日本自動車整備振興会連合会の整備用教科書の版権を買入する。 |
40年 |
株式会社伊勢丹と本格的な取引を開始する。 |
43年 |
資本金を600万円に増資する。
菊全ハイデル2色機を導入する。
スエーデン製ソルナ社の菊半2色機、1色機を導入し、オフセット印刷を開始。製版機を導入。並びに版下製作を開始する。 |
45年 |
資本金を1,200万円に増資する。 |
48年 |
従来の活版印刷からオフセット印刷に切り替える。 |
52年 |
ハイデル社の4色機を導入。三菱のダイレクト製版機、シルバーマスターを導入。 |
58年 |
代表取締役田中廉造が会長に、代表取締役に田中邦明がそれぞれ就任する。 |
60年 |
企画制作部門を新設する。 |
平成 3年 |
2月 営業所・工場を新川より江東区清澄に移転し、社名を株式会社朝川印刷社から株式会社エーピーアイに変更する。
6月 三菱4色機を導入する。
社名変更と同時にMacintoshを導入し、デジタル印刷化に着手。デザイナー、オペレーターによるDTP導入で企画制作部の充実を図る。 |
6年 |
伊勢丹奉書関係一式受注し、理想科学のGR・SRを導入して、デジタル印刷方式で対処する。 |
13年 |
三菱菊全4色両面機を導入する。 |
14年 |
FUJI FIELM CTPラインを設置する。スピードプルーフ(SP)のカラーマッチングに着手する。FUJI FIELM ラノビアクアトロを導入し、分解業務に着手。 |
17年 |
社内オンラインPC化 |
18年 |
三菱 菊全4色機に入替える |
21年 |
FUJI FILM PRIMO JET 導入 |
23年 |
FUJI FILM CTP(LUXEL T-9500)導入 |
24年 |
代表取締役田中邦明が代表取締役会長に、代表取締役に田中恒太がそれぞれ就任する。 |
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以後、企画提案型の営業を目指し、製品カタログ、会社案内、販促物等、商業印刷物に重点を置く営業活動に邁進する。 |